西沢大良『現代都市のための9か条』感想

近代建築、近代都市の欠陥を指摘する書。雑誌の連載などの集成。

新型スラムの形成

近代都市は成長を前提とし、(新型)スラムの発生を伴った。近代都市計画はスラムクリアランス(再開発)を試みるが、それは必ず別種のスラム誕生に帰結する。ある部分を「浄化」しても、都市は他の部分との連関をもった系になっているから、部屋の端に荷物を寄せたということに過ぎない。スラムは消滅させるのではなく、保存・修復されなくてはならないという。ある都市圏における異質なサブセットを保存することで都市の冗長性を確保することができる。

人口流動性(漁農村→都市/都市A→都市B)

近代都市の形成は資本主義の発展にともなってなされた。産業革命期に都市人口が爆発的に増加することで都市の住環境が著しく悪化した。これに対して地区計画、上下水道の整備などの施策がとられた。

また都市を集落(コミュニティ)と捉え、人口流動性を疑似的に解消しようという試みが田園都市である。限定的なエリア、期間であればスプロール現象も抑え込め、この考えは成立するようにみえるかもしれない。だがこれは問題を外部に投げるだけの疑似的な解決にすぎない。産業資本主義がひとたび起動してしまうと人口の流動は避けられない。人口流動は都市の発展にしたがって二つの型がある。①農漁村→都市、②都市A→都市B。日本などは②の時代にある。流動にしたがいある極においてはスプロール現象をともなう広域な都市圏が形成される。広域な都市圏を形成した地方都市などにおいて人口減少への対応としてコンパクトシティという考えが提唱されることがあるがこれは有効ではない。なぜならばこれは人口流動性を無視した考えであるからだ。人口減少によりインフラの維持が不能であるということを前提としているようだが、行政以外でその役割を担うなどで代替可能ではないか。

都市計画

話は前後するが論の前提として「都市計画」に対する言及がある。クリストファー・アレグザンダー『都市はツリーではない』、ジェイン・ジェイコブズアメリカ大都市の生と死』が都市計画の不可能性を立証したかのように捉えられることが多い。

彼らの主張は都市は単一の主体によって作り上げられるものではないということだ。複数の人々の関与によって都市は形成される。それゆえ単一の意思が計画し、それを実現せしめるというタイプの都市計画が非合理であるという主張である。すなわち近代的な都市計画の手法を批判したので都市計画自体が不可能だとしたわけではない。

9か条
  1. 新型スラム
  2. 人口流動性
  3. ゾーニング
  4. 食料とエネルギー
  5. 生態系
  6. 近代交通
  7. セキュリティ
  8. かいわい性
  9. 都市寿命

以上が9か条である。3以下はちょっと割愛してしまうが近代都市、建築というのは限定的な条件を前提とした処方箋であったにもかかわらず、その狭いパースペクティブのもと建築、町づくりが今もなお続いている。このためどこかで限界が訪れるであろうということである。合理性のみを考慮するのではなく冗長性を含みいれることが必要である。都市は国家より長生きする。ゆえに限定的エリアを独立して短期的視座をもって捉えてはならない。

表題以外に木造進化論、ほか談話等を含む。真ん中に著者設計建築物の写真アリ。どれも興味深いが今治港 駐輪施設・トイレ | SHP は使ってみたい。