『反穀物の人類史』 感想

ジェームズ・C・スコット著 立木勝訳

近年隆盛の人類史本のなかでも最もキャッチ―ではないかと思われるこのタイトル、文庫化されれば爆売必定な感もある。

著者は政治学がメインフィールドで本書冒頭で門外漢からの提言であることを示している。定住化及び採集、狩猟生活からの農業への移行が人類史上の画期的なメルクマールとされることが多いがそれは果たして本当なのだろうかという門外漢ならではの素朴な疑問をベースに議論が展開される。即ち遊牧民/狩猟民/農耕民が厳格に分かれているわけでなく、前二者も次善の策として食糧の栽培もしくはそれに準じた行為があったことが示される。労働集約型の農業は十分な資源がある場合においては労働力に対して得られるカロリーが低い場合が多い。

このように考えるとあまりメリットが少ないように思える農業(特に主食である穀物の栽培)がなぜこれほどまで人類の主要な課題となったのかというと、それは国家の徴税にとって都合がよいためである。

・決まった時期に収穫される=隠匿がしづらく徴税がしやすい(地下茎植物たるジャガイモなどは隠匿しやすい反中央主権的作物といえる。そのなかでアステカやインカは例外的と言え、興味深い)

・一粒が極めて小さく分割が用意=細かい単位とすることが可能で基本単位として便利

このように穀物の栽培は一生活者にとって必須事項ではなく中央集権的権力の要請に基づくものであることがわかる。

穀物の栽培という今となってはかかせないと思われている活動は穀物(及びそれに依存する国家)の必要性に基づいて強いられているものであり、我々はいかにdomesticate(家畜化)されてしまったのかということが理解できる。極めて限定的な都市空間に収容され、繁殖する様は豚、羊といった家畜と相似形である。

このような主張はニーチェのいう人間は約束のできる生物とされてしまったという話とパラレルに理解でき、ニーチェ読者にとっては極めて親近感を得られ、理解がしやすい。

冒頭に書いたこととは反するが本書は地道な例証及びそれができないための推測の積み重ねということで思ったよりはエキサイティングな展開とはならない。むしろそのようなドラマチックさ(定住化、農業の発明)ということを否定しており、現在の人類の生活様式にいたる過程は緩やかながら生存にとっての必要性に基づく日々の生活の累積により形成されたという主張が本書の基底にあることがわかる。

歴史(his story)はわかりやすく、語りやすい事項に基づきかつ、中央集権的なその時代の覇者によって語られる=騙られるということを改めて教えてくれる良書である。