イェスパー・ユール『ハーフリアル』を読む(Chap.2)
Chapter2 ビデオゲームと古典的ゲームモデル
多様な「ゲーム」にはウィトゲンシュタインの言うような家族的類似だけがあるようだ。何をもってゲームといえるかをこの章では考察していく。
ゲームとは?
まず7つの先行研究を参照する。ホイジンガ、カイヨワ、バーナード・スーツ、E・M・アヴェドンとブライアン・サットン=スミス、クリス・クロフォード、デイヴィッド・ケリー、ケイティ・サレンとエリック・ジマーマンである。
また前提として遊びplayとゲームgameを同一の単語で表現する言語もあることに注意(仏語:jeu、西語:juego、独語:Spielなど)このため論者によってはこの二つが必然的に混同されてしまうことがある。
さてここでは各7組の定義は省略させていただき、論点だけの羅列とする。
- ルールと結果
- 目標と争い
- 自発性
- 分離と非生産性
- 効率のよくない手段
- フィクション
- 社会的な集団形成
- ゲームとプレイヤー
これらの諸論点を踏まえて著者は以下の通りにひとまず設定する
ゲームは、可変かつ数量化可能な結果を持ったルールにもとづくシステムである。そこでは、異なる結果に対して異なる価値が割り当てられており、プレイヤーは、その結果に影響を与えるべく努力をおこない、またその結果に対して感情的なこだわりを感じている、そして、この活動の帰結は取り決め可能である。 p.51
上記の定義は六つの特徴からなる
1.ルール
ルールの不明確さは解消されるもしくはその努力を要求される。
そしてそのルールをプレイヤーが受け入れる必要がある。
2.可変かつ数量化可能な結果
可変:例えば○×ゲームのような支配戦略があるとそれは有効なゲーム活動とはいえない。また対戦者間の実力によって結果が固定されてもダメ(これは線引きが難しいとおもうが)。『鉄拳タッグトーナメント』がハンデ設定可能であること、『グランツーリスモ3 A-spec』で後続車の方が早くなることを挙げている。(グランツってそうだったの?!これ以降は知らないが。)加えてプレイヤー自身が手加減などする場合も付け加える。
数量化可能性:これは例えば『パックマン』においては高得点の獲得が目標であってかわいらしく動くことが目的ではないということ。(しかしこれも後に出るが『シムズ』などではこの定義は当てはまらないといえる)
3.結果に対する価値設定
競争を生むためには価値観を設定する必要がある。当たり前ではあるが、ポジティブな結果はネガティブな結果より普通は達成しづらく設定される。
4.プレイヤ―の努力
プレイヤーが結果にコミットできるようにすることでやりがいが出る。(例外的に完全に運任せのゲームもある)
5.結果に対するプレイヤ―のこだわり
勝てばうれしく、負ければ悔しい。ルールを尊重するのと同様に結果も尊重する。そうでないとゲームはぶちこわしである。
6.取り決め可能な帰結
ゲームの結果が現実生活上にいかなる帰結をもたらすかを任意で定めることができる。例えば賭け金や名誉である。他方格闘技やモータースポーツが持つ危険性は帰結を任意に定めることができるとはいえない。とはいえこれらも基本的に危険を避けるべきものとされている。
上記の六個の特徴があれば間違いなくゲームだが、途中にも記載した通り一つでも欠ければゲームでなくなるわけではない。
媒体横断的なゲーム
あるゲームは様々な媒体でプレイし得る。
実装 implementation:カードゲームのビデオゲーム版と物理的なものでは曖昧な点無しに一対一対応可
翻案 adaptation:サッカーのビデオゲーム版はリアルスポーツとでは要素に省略が生じる。
(これもあくまで理念型というべきだと思う。なぜなら麻雀やポーカーにおいてプレイヤー間の表情や動作、カードや牌の並べ方を全て実装したゲームは現状ないだろうし、逆に将来的にはサッカーゲームにおいてもVRその他の技術によってリアルサッカーの全要素を実装可能になるかもしれない。)
むしろ興味深いのは以下の話
ふたりのプレイヤーが1から9までの数字を交互に一つずつ取りあう。合計15になる3つの数字を先に取った方が勝ちというゲームと○×ゲームは等価なゲームである。
これは1から9までを3×3のまマスに
816
357
492
というように並べてそれを取り合うゲーム(魔法陣)として実装するとよくわかる。
等価なゲームであっても実装次第ではプレイヤーの経験は全くことなる。この場合は日空間的なゲームと空間的なゲームとなり、魔法陣にした方が大半のプレイヤーは簡単に感じる。
以上のように7つの先例もしくは著者がまとめた古典的なゲームの定義からはみ出るものは特にビデオゲームではいくらでもある。少なくともゲームの在り方はどのような道具を用いるかよりもルールをどう処理するかという点に大きく依存する。ということがひとまずわかる。