こんばんわ。
千葉雅也の欲望年表をちょっこし書いて、ランニングをしてきた無職でござりまする。今日からは表題の本を読んでいこうと思います。わりとさらっと目に。みんな大好きゲームの本です!
オリジナルは2003.2-7月に亘り執筆されて邦訳版(松永伸司訳)が昨年ニューゲ―ムズオーダーという会社から出版されていたようです。
Chapter1 序論
ここでは本書のアウトラインが提示される。
まずゲームにルール/フィクションとしての側面がある点に着目する。
これに基づいてゲームを分類すると創発型/進行型という二つの極を想定できる。
創発型とは繰り返しプレイするようなマルチプレイヤー(恐らくAIも含む)のゲームで、進行型とは一度きりクリア型のアドベンチャーゲームである。
関連する研究例えばゲーム理論は参考になる点がある。一例をあげると支配戦略のあるゲームはつまらない(例えば○×ゲーム)。またカノン的存在としてヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』、ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』があるものの、いずれもrule-based gameとfree-form playを一緒くたにしている。
cf.カイヨワの4分類「アゴン(競争)」、「アレア(偶然の遊び)」、「ミミクリ(真似っこ)」、「イリンクス(めまい)」
伝統的なゲーム―チェスやチャトランガなどは抽象度の高いゲームである。一方でビデオゲームは一般的に抽象度が低い。そしてメディア横断的である。
その他諸々省略しますが、最後に一つ引用
わたしは、アクションゲームを楽しむこととライナー・マリア・リルケの詩を楽しむこととのあいだに、なにか決定的なちがいがあるとは思わない。いくつかの歴史的な理由から、両者は相いれないものだと考えたくなるかもしれない。しかし、いずれも根本的にまちがった理解だ。ビデオゲームがいずれ芸術になり、芸術として受け入れられることを阻害するものは、ビデオゲーム自体が持つ特徴のなかにはない。p.35