回顧録、911に際して

ワールドトレードセンターのビルが崩壊しておよそ16年が経った。

あの時、ぼくは中学生で塾帰りにテレビで見た。ちょうど家に帰り、リビングに入ったとき二機目が突っ込んできた。まさに目を瞠る光景だった。今このことを振り返るとすればおそらくヴィリリオの言葉を引いたり、日本から見たスペクタクル性といった小賢しい話をしてしまいそうだ。しかし今日はやめておこう。

あのとき、あのことが起こるまでこのビルの名前、たぶん存在さえも知らなかった。テレビではこの事件の経緯や意義などを連日流していた。一方ぼくはその頃好きな子がいて、しばらく経ってからメールでこの件の話になったことがあった。

彼女からその話題を振ってきたように覚えている。女子中学生がわざわざメールに書くほどの事件であったともいえるし、彼女がそういったタイプだともいえる。何と言うべきか、真面目でありながら少しシニカルな視線を世間に対して持っていた。彼女の外見はほんとうにそんな感じだった。少し大げさに言えば、高貴な精神に見合った顔貌を持っていた。キツネ顔の美人だ。たいていの先生に対する静かでありながら反抗的な態度、教室の椅子にはやや浅めにおおよそ太腿と腹部が110度ほどになるように腰掛ける。そんな顔と立ち居振る舞いが好きだった。そして僕に対しては比較的低音で短く笑う。

 あまり細かいことは定かには思い出せないがその頃はまだeメールだったし、二人ともそれなりの長文を交わしたと思う。中学生ながらも何か漠然とした将来への不安をこの事件に接続させてお互い書き示したような気がする。ただその後学校で会ってもそういう真面目な話はしなかった。

 

ここに書いたことがどこまで事実だったのか、どこまでが都合よく改変したものなのか判別がつかないところがある。

そして別に彼女は死んだわけでも、どこか遠くへ行ったわけでもなく、AV女優になったわけでもない。SNSで連絡を取ることもできる。二人で会うような関係には恐らくなることはないだろうけど。

あの頃から時は過ぎて何人かの女の子と幸いにしてお付き合いする機会を得たが、彼女の姿はどこか奥の方に丁重に保存し続けていた。そしてぼくは未だにどこを向いて歩いていくのかよくわかっていない。

毎年911を迎えると、ぼくは犠牲者ではなく彼女に思いを馳せてしまう。

当時だったらゴイステを貼るのだろうが、今となってはゆら帝なのである。

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