『私はなぜ書くのか』マルグリット・デュラス 感想

 デュラスのインタビュー本

全12節。幼年期、パリ時代、ひとつのエクリチュールの道程、テクスト分析のために、文学、批評、登場人物のギャラリー、映画、演劇、情熱、ひとりの女、場所

和訳は数冊読んでかなり好きな作家だけどもどういう人かは全く知らなかった。テレビに出たり、ジャーナリズムにも関わり、わりと世間を騒がせることもあるタイプだったようだ。

テレビも結構見るようで、サッカー、特にプラティニは好きだったようで対談もしているらしい。非常に読んだみたい。注にそのときのプラティニのコメントがあるので引用してみる。

マルグリット・デュラスがなにものかを知らなかった、その知的名声を意識していなかったという意味で、ぼくによってこのインタヴューは、なにか全く非現実的な体験だった。いや、感銘は受けなかった。文壇のことはまったく、あるいはほとんど知らなかったので、文壇におけるこの人物の重要性をわかっていなかったからだ。そのかわりに、興味津々だった。サッカー界の外の人間と会うのはいつでも大歓迎。デュラスの場合、お釣りがくるくらいだった 。彼女が一度もサッカーの試合にいったことがないのを確信していたからね。インタヴューで記憶に残っていること、それは彼女が選手としてのぼくに対してとったアプローチだった。彼女は天使(アンジュ)のような精神の純粋さについて話し続けた。サッカー選手を語るために、ひとつの言葉「天使人間(アンジェロム)」まで考えだした。ぼくのことを青いユニフォームを着た天使のように考えていた……あれはおもしろかった。いままでにないこと。スポーツのまったく新しい見方だった。彼女は雰囲気、ボールに対する人間の関係、ぼくの家族についてさんざん話した。その質問にはたびたびほろりとさせられた。イタリアでプレイしていたとき、大勢の作家が僕について長い記事を描いた。でもそれはみんなサッカーに関心のある知識人たちだった。彼女ほどサッカーを知らない人間から質問を受けたことはなかった。

 一方デュラスはそのインタヴュー番組のなかで

世界における私の仕事、それは世界を見ること。サッカーのピッチ、それは他者があなた自身と等しい場所。対等の立場で。(……)サッカーのピッチ、選手たちがプレイするこの場所、彼らが閉じ込められている場所、それは観客が観ている劇場、対決の場所、したがってすでに政治的な場所だわ。あなたが掛け金を手にしたとたんに、たとえ平凡な勝利の掛け金であっても、あなたはすでに、より平凡ではない敗北の掛け金――侮辱による敗北の正当化――を手にすることになる。もはやプレイするためにプレイするのではなく、ひとりの敵としてプレイする。そして敵を汚すためなら、敗北を正当化するためなら、なにをしてもいい。このおぞましい行為からはだれも逃れられない。もちろん、スタジアムで起こることの政治的な翻訳は存在しない。けれどもすでに、ひとつの反映、人種差別がある――どんな言葉を言ってもいい。でも、あなた、あなたは一度も差別したことはない。わたしはそう確信している。 

 そしてなんとこの対談は戯曲化されているらしい。 

ところで純文学とエンタメ小説は何によって区別されるかという問いがよくある。それはレーベルによって規定されるに過ぎないというのも一理あるが、個人的には作家がその実存を賭しているかということに尽きるとおもう。実存を賭すってなんやねんと問われれば、生活と仕事が切断されていないことと答える。そして仕事とはレイバーならぬワークである。本来的な意味でのアマチュア精神があること、つまるところデュラスのように最終的には愛に還元される。

とあまり本題と関係ない引用ばかりだが、この本はタイトルのとおりなぜ彼女は書くのかということが明かされる、というと言い過ぎではあるもののまあほの見え、ベトナムでの疎外、パリ・フランスでの疎外が大きな原動力となっているのを感じる。

また作家、哲学者等との関係も垣間見ることができる。ラカンは正直何言ってるかようわからんとき多い、サルトルカミュはあんまり好きじゃない、アルトーは功績を認めつつもあまり興味ない、そしてバルトについては以下のように触れている。

――同性愛について、どうお考えですか?

デュラス 似た者どうしの愛には、対立するふたつの性だけに属する、あの神秘的な普遍の広がりが欠けています 。同性愛者は自分の愛人以上に、同性愛を愛するのです。これが、文学……プルーストを考えれば充分ですけれど……文学が同性への情熱を異性愛に変換しなければならなかった理由です。はっきり言えば、アルフレッドをアルベルティ―ヌに。

 すでに言いましたが、このためにロラン・バルトを偉大な作家とは考えられないのです。なにかがいつも彼を制限していた。彼には性におけるもっとも古い記憶、つまりひとりの女を性的に知ることが欠けていたように。

作品紹介も巻末について200ページ強で読みやすい。

原題はLa passion suspendue

 

私はなぜ書くのか

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