御御御付とサウスパーク
こんちは。今日も無職です。
サウスパークのゲーム新作において難易度と肌色が連動することが明らかになりました。DUDE!
率直さを理解するには迂遠さが必要である。
この件について先日のヒリス・ミラーの本にも引用されていたJ・L・オースティンのスピーチアクト理論をもとに考えてみましょう。
サウスパークは全方位にその率直さを差し向けることで人気を得てきました。
発話内容:主人公の肌色を黒くするほどゲーム難易度が上昇する。
これに対して受信者が想定しうる発話意図は二通りあるだろう。
A:開発者は肌色をもとに差別的取り扱いを行うものたちだ
B:社会にある人種差別に対するアイロニックな抗議を行っている
Bの解釈を取るためには当の発話行為以前の発話に関する情報を取得している必要があり、かつイロニー(発話内容と発話意図のずれ)を解する必要がある。
当の発話行為以前の発話とは同作品の内容および表現方法、これまでのシリーズのことである。この件についてはまだ一般にプレイヤブルにはなっていないため、その判断基準はほぼすべてこれまでのシリーズに依存することになる。
発話者の率直さを理解するためには受信者について事前手続きが必要になる。※率直さという語を厳密には定義するべきかと思いますが、ここでは省略します。無職ブログだしね!
迂遠さを解するためには率直であるだけで良い。
さて御御御付ということばがあります。ナウなヤングは発音したことがない方が大半ではないでしょうか。
では一度声にだしてみましょう。
お み お つ け
はい、どうもありがとうございました。なんでも一度はやってみるものですね。
諸説あるようですが
いずれにせよ敬語のインフレという現象です。
ほかの例としてはチェーン店などにおけるマニュアル過剰敬語がありますね。あるいは「貴様」も興味深い例であるがここではこれを深めない。
通来の敬意を示す表現方法が陳腐化、敬語価値の下落が起こり二段階目の迂遠さの付与を受ける。(過去作で二段進化だったポケモンが三段進化化するという感じでしょうか)
実際のところはある敬語が陳腐化するということはなく単なる当事者のパラノイアに過ぎないこともあるだろう。
敬意を表するために語を接ぐというのは多くの言語でみられることです。そしてこの迂遠さ=敬意を敬意として理解するには発話内容を文字通り受信すればよい。(敬意を悪意図して、例えば慇懃無礼ととらえるためには別の手続きが必要)文字通りの読み、リテラルリーディングは実際のところかなり自制をもたないと難しい。多くの人はしばしば見えないものを見てしまう。一方でアスペルガー症候群は基本的にものごとを字義通りに解する。
率直さと親密さ
以上率直さ(の意図)を理解するためには発話者―聴取者にコンテキストの共有が求められる。コンテキストの醸成には時間を要する。もっとも時間にも質があることは当然である。(この時=コンテキストの共有を素晴らしく表現した作品に近年では『海街diary』がある。)そしてある符牒を解する者同士(作者と鑑賞者あるいは鑑賞者同士)に親密さが生まれる。それ故これまでのコンテキストが織りあげた基本思想(と思われるもの)を切断することがない限りサウスパークはファンに愛され続ける。