アンドレ・ジッド『狭き門』感想

キンドルアンリミテッドにて

ファンタズム(幻想)の中で挫折する恋愛。それは思春期ころから始まり、相思相愛であるにも関わらず青年期前半で終わる。

冒頭ではヒステリーの叔母などいくらか他者性をもつ第三者が登場するが次第に主人公ジェロームとヒロインのアリサという二人の関係性に焦点が絞られ、彼らと同様に我々読者も閉塞感を与えられる。19世紀の貴族階級の恋愛だが、日本の平民にとっても中高生のころを思い出させる普遍性がある。

アリサがキリスト教的な審級によってファンタズムをファンタズムとして受け入れることを拒み、恋のファンタズムを解消させることに腐心し死ぬ。主人公のいとこで恋人であるアリサには妹のジュリエットがいる。彼女との間にも主人公とはひと悶着あるが、結局裕福な年上の商人と結婚する。この姉妹は一般的な女性を2人に分解した登場人物といえる。ふつう女性は妹ジュリエットのような現実的な面と、アリサのような理想主義的な面をあわせ持ち折り合いをつけるものだろう。それゆえこのような悲劇的な結末に至ることはないだろう。また現代の平民であればどこかでセックスや労働といった機械によってファンタズムのイデオロギー的用法や打算を知り、このようなプラトニックラブは挫折するか妥協的解決をみるはずだ。

ピアノの調べは美しく響くか

アリサにおいては服装髪型、十字架のネックレス、本、ピアノといったアトリビュートによって心境の移ろいが表現されるがこれはすべてジェローム(あるいはアリサ)の想像的解釈によって物語られる。

アリサがピアノの調子が悪いので買い替えることにして前のピアノは引き取ってもらったというが、叔父(アリサの父)は彼女が弾いているのを聞くとそんなことはなく良い音色がしていたという。このちょっとしたエピソードは、本作を象徴している。

ピアノに言及している箇所を本文からいくらか引いてみよう。

夜、夕食が済むと、リュシル・ビュコラン(マルチニーク出身の非ピューリタン的伯母)は僕たち家族のテーブルには近よらず、ピアノの前に座って、ショパンのゆったりしたテンポのマズルカを得意げに弾くのだった。そして、ときには曲の流れを中断して、ひとつの和音を弾いただけで指を止めてしまうこともあった……。(3200の134/kindle)

ひと気のいなくなった客間では、ピアノの陰から体をはみださせて、伯母がジュリエットと話している姿が見えた。(3200の1050/kindle)

ジュリエットはとても幸せそうです。ピアノも読書もやめてしまったのを見て、初めは悲しく思ったのですが、エドワール・テシエール(ジュリエットの結婚相手、裕福な商人)は音楽が嫌いだし、読書もそんなに好まないのです。夫がついてこられない楽しみを捨てたジュリエットの選択は賢明なものです。(3200の1508/kindle)

夜、客間へ入っていくと、いつもの場所にピアノがないのでびっくりした。

…「ピアノは新しくするつもりなの」

「だから何度も言ったじゃないか」伯父はほとんど𠮟りつけるような厳しい調子で言った。「これまであれで十分だったんだから、ピアノを引き取らせるのはジェロームが発ったあとにすればよかったんだ。お前が急ぐから、みんなの楽しみが一つ減ってしまった……」

「だってお父さん」とありさは赤らめた顔を隠そうと横を向いて言った。「あのピアノはこのごろとても音が悪くなって、あれではジェロームだってなんにも弾けないわ」

「お前が弾くときは」と伯父は反論した。「そんなに悪い音には思えなかった」(3200の1866/kindle)

書簡体文学という想像的世界

この小説の後半はかなりの部分が手紙、日記によって構成される。それ以外の部分でもジェロ=アリの関係性にほとんどのページを割いている。まれに叔母などが介入してくることはあるがそれらは遠くから聞こえる声に過ぎない。この二人は父の名において異常を抱えている。アリサの父は妻に捨てられ、ジェロームの父は早くに死ぬ。アリサは父の機能不全を(おそらくパラノイアックな姿勢で)神によって補完しようとする。ジェロームの父には触れられることが少ないが、生前にピューリタン的道徳が植え付けられたであろうことは前半で示される(自ら狭き門を求めるというのは神経症的症状といえるだろう)。

アリサはジェロームが大いなる知恵を持っている(あるいはそれに到達することができる)と考えるが、ジェロームは単なる神経症患者にすぎない。北方謙三ではないが一発やって子供でも作れば解決するじゃろうと言いたくなるが、この二人の精神病者においてはそのような解決に至ることは決してないのである。