飛べない鳥、泳げない魚 ―コジコジを支える常識人

幼少の頃、コジコジぼのぼのを強く愛好していた者はニートになる確率が高いという。今日はひたすらコジコジの素晴らしさを称揚します。

とりあえずwikiと公式貼っておきますね。

さくらももこ劇場 コジコジ

コジコジ - Wikipedia

プロレスラーではなくさくらももこの漫画及びアニメのことですよ。

個人的な話

ぼくは小学生のころ毎週楽しみに見ていました。当時、漫画は買わなかったんですが、それは愛のなさではなくそうした風習が存在しなかった故なんです。中学のころは友達からたまに単行本を借りるか、図書館のブラックジャックを読む。高校生のころは基本的に教室に転がっている漫画雑誌を読む。(大学のころは特に記憶がない。)という形でしか漫画成分を摂取していませんでした。こう書くと図々しいやつですが、私は別のものを提供していたからいいんですよ。(エロ本じゃないよ!)そして肝心の小学生のころはアニメ、ゲームはさんざんしましたが漫画はほぼ読んでいなかったです。そういうわけでコジコジの単行本を買ったのも大人になってからなのでした。ちなみに全巻持っている漫画はコジコジジョジョだけです。ジョジョは7>6>1>3の順で好きです。まあ7部6部はそれ以前があってからこそですが。

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第一話の素晴らしさ

今後もコジコジのことはちょくちょく書こうと思いますが、今日は第一話について。

ご存知ない方は「コジコジ 先生 論破」で検索するといいかもしれません。し良くないかもしれません。

以下ネタバレ含みます。

 

立派なメルヘンものになるためコジコジらは学校に通っています。このエピソードではコジコジのイノセントさ(後々これを超えて神や創造主もしくはそれに準ずるものであることがわかってきます。またイノセントという点ではゲランという太陽王キャラがいます)に周囲が圧倒されるという話です。超越的なコジコジに対して隣の席の次郎君は常識的な反応を醒めていながら絶妙な調子で返します。

一方先生はその他のエピソードではそれほど大きく本筋に絡むことはありませんが、今回は重要なポジションを得ています。すなわち(この場においては)イノセントな子供に完全論破される大人もしくは体制側のものという役割です。分別ある大人としての行動を見せますが、今回はすべてコジコジにかわされてしまいます。かように本作のエッセンスが詰め込まれ、今後の展開が予示される素晴らしい初回です。もうほとんどこの回を見ればすべてがわかると言っても過言ではありません。

常識人、半魚鳥の次郎君

別の回でコジコジに飛べない鳥、泳げない魚と指摘される次郎君。半魚鳥です。この一見領海侵犯的、脱構築的でありキメラもしくは鵺のような種族は意外にも常識的な存在です。この種族の特質はトリックスター的な意味づけはなくここでは半端もの、中庸さを表現しています。鑑賞者に寄り添うキャラクターと言えます。おおよそその言動は小学生高学年からもしくは下ネタを解する点から中学生男子に相当します。彼の存在がこの作品にバランス感覚を与えています。

そして第一話では次郎君はエピソードの落ちとして再登場します。

コジコジと先生の論戦を窓の外からコロ助(ゆきだるま、次郎君の随伴者)と見ていた次郎君は母ちゃんに対してコジコジの理屈を援用し対抗します。が圧倒的な暴力的現実(と本当の暴力)によって屈します。

これによりコジコジの理屈はコジコジにおいてのみ通用することが判明し、子供たちに良い教訓を与える。(またこれを理解しない人間がニートとなる)

もっともこの教訓は最後のコマ/カットで次郎君が口が切れているということだけを気にしていることが示され、実際にはそれほど効いていないことが表現されているため全くと言ってよいほど押し付けがましさがない。

このように意識的なものかは不明であるが、

きわめて慎重なバランス感覚のおかげでコジコジは大人も子供も楽しめる作品になっている。

いつか子供ができたら見せたいですね。おれは来来来世に期待しよ。

 

 こんなのあったんだ。買っとこ。おっさんだけど。