『オッドタクシー』感想
皮肉屋のセイウチのタクシードライバーが繰り広げる日常系と思わせ…という話。タランティーノ的台詞回しにバルザック的な世界においてミステリーが展開される。表現手法の選択に必然性があることはフィクション作品の強度を高める。小戸川という主人公のキャラクターは30、40代の孤独な独身男性には極めて共感ができるだろうし、それ以外のキャラクターもどれも適役であってもキュートな面がある。人間らしい動物たちによって描くという選択によって臭みを感じさせかねないタランティーノ流セリフも緩和され、ほどよい温度感になっている。小戸川は基本的に冷めた態度であるが、それでも感情の機微は巧みに表現され、物語が進展するに従い、友人の医者剛力が言うとおり温度が高まっていく。
昭和のトラビス、令和の小戸川
このような効果をもたらす表現手法も単にその効果を求めた結果ではなく、物語上の必然に基づくものであり、内容と形式が合致している。様々な固有名や、それぞれの登場人物の弱さが現実界への参照項となり、世界の広がりを感じさせる。タクシードライバーは様々な登場人物を登場=搭乗させることができる狂言回しとして極めて利便性の高い舞台装置であり、世界の広がり感がある一方で、奇妙に登場人物たちを吸引する。当初、小戸川は自らを後景に退かせる態度をとるが、次第に主人公たる行動をとる。
タクシードライバーをフィクションの主題材として採用する場合、アメリカ文化の影響を受ける世界においては当然トラビスさんを参照せざるを得ない。各種固有名を出すこの作品においてトラビスは直接言及されることはない。固有名詞を厭わず挙げるこの作品のなかでトラビスには言及しない点はバランス感覚に優れているといえる。自分自身、それ自体に直接的に言及することは下策である。それは態度で示すべきである。
このような注意深い脚本によって小戸川はトラビスに並ぶ2大タクシードライバーに登り詰めた。
景色の変容と失望
サスペンスがいったん解決されると、景色が変容する。それによって若干の失望、魔法が解けた感を与えられる。この脱力は物語的にも正当なものであるともにいかにこの作品の表現手法が適切であったかを理解させるものである。エンディングはラストサマー的な定番といってよいものだが、小戸川のニヒルな(彼は冒険を通じて人生よもう一度と肯定できる真のニヒルな態度を得る)態度にも合致している。
ヒップホップ要素
この作品はアニメの放送予定などを知らずアマプラで目につき一気に鑑賞したが、オープニングで一気に引き込まれる。Pさまというのはすぐにわかるが、スカート(澤部渡)は寡聞にして知らなかった。ほかにもOMSB、VAVAなどサミット連合が絡んでいてよい感じ。
そしてラッパーのヤクザ矢野。韻を踏み続けるが、窮地に陥り…彼のことをワックと我々は断言できるだろうか。
ミステリーキッスもすごくいい。
命名法(追記)
主要キャラの名づけ方法を概観してみる。
小戸川/セイウチ タイトルのオッド、類縁生物のトドを連想させる
柿花/サル 猿蟹合戦における柿を連想させる
剛力/ゴリラ 名は体を表す例
ドブ/ゴリラ こちらもゴリラ、小戸川とは反対に下顎犬歯(金歯)が目立つ。剛力とは別の種族? 恐らく通称
白川/アルパカ このへんにはアルパカはあんたしかいないという小戸川の発言により彼にとっての唯一性を示される
樺沢/カバ この突進力溢れる生物は唯一、名前に生物名が含まれる。第1話の乗客であり、特権的地位にいるトリックスター? と書いて公式の登場人物一覧を見ると馬場(ウマ)がいたことに気づく
大門けんしろう・こうしろう/ミーアキャット 西部警察大門のサングラスと目元の位毛の類縁性 また北斗も連想させるが意味があるかは不明
矢野/やまあらし? とげとげと矢の形状
名の象徴性はまちまちのように思えるがこれくらいのほうが自然な感じは出る気がする。
モノローグ
唯一この作品で自分がマイナスに感じたのは割と前半に小戸川ではない人物のモノローグが1話通じて展開される。最初はせいぜい10分程度かと思ったが延々続く。おれは小戸川であれば全編モノローグも許すが、あいつのモノローグはしんどい。まさに自己愛の強さを示すために必要ということはわからないではないが、純粋にあのノリはややしんどかった。モノローグは自覚的に用いるにしてもかなり取り扱い注意であることがわかる。
とても素晴らしい作品である。個人的にはまどマギ級。わたしは小戸川と白川が幸せになることを心から願います。