おしまいじゃねーよというわけで
童貞。をプロデュースフェラチオ強要事件の続き。
今回は前回引用したブログ、tweetにも記載あった映画制作時のトラブルケーススタディ
https://twitter.com/tiptop_matsue/status/894173555889381376
このツイートにあったヒッチコック、ベルトルッチ、キム・ギドク
は『鳥』の主演女優ティッピ・ヘドレンに対してセクハラをしていたと没後女優の自伝にて記された。『ザ・ガール ヒッチコックに囚われた女』はこの問題を描いた作品。『鳥』では演出手法として本物の鳥を用いたが、これもトラウマを生じさせかねず今でいえばパワハラに相当する可能性があった。
『ラスト・タンゴ・イン・パリ』(1972)において女優マリア・シュナイダーに同意を得ずにレイプシーンを撮影した疑惑が生じた。これは2013年シネマテーク・フランセーズのインタビューにベルトルッチが応じた際にこの件が再燃した。
また2007年にはシュナイダーがこの件についてデイリー・メールのインタビューに答えている。
ベルトルッチはレイプシーンについてはシュナイダーもその存在を事前に認識していたが、バターを用いる点についてのみ知らせていなかったという主張をしている。またこのアイデアはマーロン・ブランド発とのこと。
また同じソースだが
これはまだ係争中だろう。
これ以外だと今村昌平の『人間蒸発』が思いだされる。
「人間蒸発」 ① 今村プロダクションの誕生 - 今村昌平ワールド
え、これフェイクじゃないのとビビった。
奥崎謙三関連作品とか。しかしこれらは少し話がそれるのでまた今度。
演出上の必然性のないパワハラ、セクハラなどは罰せられるべきことは異論はない。
問題は演出上の要請により生じる場合である。
ボクサーは試合で相手を反則をおこなわずに殴り殺した場合罰せられることはない。
しかし俳優に対する演技指導はどこまで日本でいうところの正当業務に当たるのだろうか。これは多くの場合明白ではないだろう。
個人的にはよく乳ぐらい見せろやぼけえと思ってしまうことは映画を見てるとある。
例えばヒメアノールで修羅場にも拘わらずやたら乳を死守する様子が滑稽に見えたりとか(もちろん演者のせいではなく演出のせいなんだろうけど)
いやこれも少し話がずれているぞ。問題は正常な意思形成が阻害されていないかという点、さらに別のレイヤーからそこには映画に対する愛や誠実さはあったのかということ。
いずれにせよこのままでは愛や誠実さというレイヤーにおいて松江監督は加賀さんの仕掛けたセメントマッチに応じられず舞台を降りたヘタレということになってしまう。
(もちろん法的判断は別途考慮されうる。しかしそうすると加賀さんもまた公然わいせつ罪に問われるのか)
いずれにせよこれは松江監督の実存を問うているのだから、観客は無責任にもアトラクティブなアンサーを期待している。仮に私がそのような問いを前にしたら怖気づくだろうけど。残酷演劇。アルトー。ヤコペッティ。
公開処刑は古代より人気のコンテンツなわけで。ケーダボさんもボーイケンとは同意見なわけで。
AKBにこんな歌があるんだね。でもこれアイドルがさらにはもし口パクだとしたらこれほど因果なことはない。おーこわや、こわや。