『ジャン=クロード・ヴァン・ジョンソン』感想
ダービーで自分を信じ切れず、中途半端な勝ちに終わり、目黒記念でそれを膨らまそうとしたところダミアンレーンが2着して水泡に帰した男の感想。
ウォッチリストにずっと入っていたのをやっと見た。これも池添さんとレーンさんのお陰です。
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この作品はジャンクロードバンダムによるレスラーであり、マトリックスであり、8 1/2、そして蒲田行進曲あるいは田園に死すである。世間から忘れ去られつつある「ムービースター」が銀幕とともに裏家業に復帰し、己を見つめなおす話。
セルフパロディは元ネタを知らずとも楽しめるように配慮されている。最終話の格納庫の扉にあるうってつけの突起には爆笑間違いなしで、なおかつ感動する。パロディに対して感度が高い作品ということは自然、メタファーも豊富になる。ドッペルゲンガー的フィリップ(=劇中の役)が死ぬこと。ビデオ屋でヴァネッサに修行を付け、(彼女はポップコーンをつくる!)そして修業が完了するということは自分の現状を受け入れ役者としてはビデオテープの中に退くことまたは主役級ではなくなることを意味する(jcvdはどちらかというとDVDというよりビデオテープ的存在だろう)。またJCが孤児という設定、これは典型的「ムービースター」は個人的な出自とは切り離される=親がいないということを示している。このような過程を経て本来の自分を取り戻し、老いを受け入れ平穏に暮らすはずだったが……という無間マトリョーシカ構造
メタフィクションとしてスタッフはやるべきことはやったといえる。だがもちろんJCというスターが存在しなければ成立しないというのはウェザーコントロールデバイスなどという「映画」的なものを信ずるドラガンの言う通り。
生きる喜びとは限界を越えた股裂きの痛みなのかココナッツウォーターのべたつきか、あるいは三冠馬を素直に見届けることなのか。
JCの戦いは明日も続く。