『渇き。』感想
わたくし小松菜奈が見たくてですねヘヘヘヘヘ
映ってる時間は役所広司の方が断トツ多いですね。主役かー役所が主役か―
仕事でくさくさしててね。こっちは小松菜をみたいんだよ。このくそがーぶっ〇してやるー
まあそういう映画ですね。やたら役所さんが罵り、妻夫木君がにやにやぺろぺろしてる。そして小松菜がかわいい。殺されたい。
これは高度なギャグなのか
こないだの柄本氏ではないが、これはおれを試しているのか。
役所、妻夫木両氏の存在がギャグにしか見えぬ。特にブッキーさんかなあ。何だろうあのキャラ。なんか元ネタ有?原作通りなの?さらに二人がそろい踏みするとちょっとこれはなかなかどうしてつらいよね。
後音楽。いやわかるけどいやわかんねえよ。アバンタイトルのあれとかさ。
オダジョーさんもなんかおかしいよね。もちろん演出のせいが9.5割だと思います。
壮大な前振りだったのだ
ブッキーがポーンと垂直にすっ飛ぶ。
変わった。
感動したのはうしなった―ゆめだけど―と聖子ちゃんが流れるシーン。
これまでのあのアメリカ―ンな音楽使いはフェイク、囮、前振りだったのだ。
(劇中で実際に流れている音楽のことって何て言うんだっけ。劇中歌じゃなくてなんだっけ)
おれはこの監督が嫌いなんだよ。告白とかはみんな嫌いというからあまのじゃおじさんとしてはあの軽さがいいんだよ、わざとなんだよ、ポスモだよ。などと逆張りしていたが、今回でわかった。あの軽さはわかってやってるよ。明らかに。あの過剰さも。
この作品はでその試みは成功してないかもしれないが、彼はイデオロギーをイデオロギーとして受容できる勝ち組人間である。きわめて利巧である。そしておれは嫌いだ。
フェイク、セルアウトやろう、リアルではない。そう罵られるのだろうが、そんなことは彼には問題ではないだろう。これが資本主義だよ。ワトソン君。
次はもっと小松菜ちゃんが出るやつ見よう。小松菜が見れるだけでもう私はいいよ。
でもやっぱり前振り長すぎです。中島先生。