『溺れるナイフ』感想

昨日は小松菜成分が物足りなかったので引き続き。

素晴らしすぎひん?!これ

レェエベルが違うよ。

 

海!山!とかいってぬかるみ!うんこ!うんこ!とぶち込めるとこ。

これがこの映画の素晴らしさ。小松菜とダース―さんの神々しさを存分に描きながらも彼らがそうであったように幻想の破れも捉える。超越的なところのみだけでなく、等身大の姿も収めている。やがて失われる少年少女の美しさを描いている。これだけでもう何を文句を言えようか。わたしぁ言えやしないね。まる子こころの俳句。

そしてまゆげ大友が泣けるよな。何かあいつ絶対噛むし。映画はいつでも見に行けねえんだよ。はあつらい。

おれが菅田将暉であってもよかったわけでしょ。だって名前も漢字四文字だし。髪もストレートだし。あとほらなんだ。おれもバイクの免許あるし。はあーつれーわなんでおれ菅田将暉じゃねえんだよまじで。神さんおねがい。でも菅田将暉であってもつれえんだよな。まったく。小松菜になりたい。

はあちょっとは落ち着いたかな。

でもまじで泣けてさあ。美だよね美。何でこんなに美しい生物が生まれて、そして死んでしまうんだ。切ない。そしてうれしい。生まれてきてくれてありがとう。

落ち着かない全然。じゃああえてここで気になったところ。

・ボートのシーンの台詞

ここはアフレコだったのだろうと思うが、明らかに不自然だったよね。後の回想シーンのために敢えてということなのかもしれないが。あのシーンだけ見ると特に小松菜ちゃんは全然リップシンクしてなくてなんかこう浮いてた。でもあの肩と腕ブンブンするあの動きめっちゃ好き。結局小松菜ですべてが好意的になっているのかもしれない。

ここまでの感じだとなんやただ小松菜かわいいだけの映画だろとお思いになるやもしれぬが、まったくそうではない。

たしかに小松菜と菅田でなければ成立しえない話ではある。おれが菅田の役だったら間違いなく打首獄門同好会だよ。

この話は外来の神が土着の神に会う話なんだよ。神々は一度その無謬性を損なわされ、失墜するが、もがき苦しみながらその外傷を克服する。そして外来神は一段と成長し帰途に就く。

しかしながら彼女たちが決定的に人間なのは時間に縛られていることであって、それ故走らざるをえない。そうだろう。走るしかないだろう。走れ! 

あとは正直音楽の使い方はなんですかね。そんなにしっくりはこなかった。水星は嫌いなわけはないのだけれど。今日はこのくらいにしたいとるわ。このディストラクションベイビーズコンビには今後も期待。やぎらくんもね!


tofubeats - 水星 @ りんご音楽祭2013


吉幾三 俺ら東京さ行ぐだ (1985年1月)