最近、見たもの、聞いたもの。

大分時間が空いてしまった。あかんな。

とりあえず最近の記録

ブレードランナー

2049初日18時台にいってきた。2D IMAX 

平日とはいえ半分程度の入り。まじですか。 

ドゥニ・ビルヌーブさん、複製された男の監督。周りではそんなに評判よくなかったが、私は好きよ。

love or mathematical precision ?

レプリカントが自我を見つけたり、見つけなかったりする物語。

1作目、原作とも結構昔に見たのでそこまで正直覚えておらず。当日行くことを決めたので復習もなし。

前作のデッカード同様ブレードランナーであるK。

冒頭のお仕事で職業や自分自身について疑問を覚え、追究をはじめ…という展開。

割と地味な画面であるが、引き込まれる。

ラブオア…というのは、どこに神を見出すのか、あるいは見出さないのかということなんだろう。Kは2.5次元的なジョイに恋している。互いにとってのスペシャルワンであると信じてしまうわけだけど、そんなことはなく彼女は量産品であった。悲しいが寝ころび雪を肌に感じているともはやそんなことはどうでもよいと思えてくる。この雪を受けるさまはジョイが最初に実体化?した時の雨を感じる様によく似ている。

結局自我とはなんなのか。魂とは?

人間がそうしたものを持っているように見えても本当はアウターワールドが存在し、そうであるかのようにシミュレートされているだけとはどうして言えない?

おれは囮だった

ジョイとの関係においてもワンオブゼムであったのと同様にレプリカント界においてスペシャルであるとKは期待したが、そうではないことが明らかにされる。

このことはプロット上の視聴者への囮でもある。

スペシャルであること、固有名をもつということ(主人公の呼ばれ方にも注意)はいかようにも操作できる。そうであることにすれば良いのである。Kは世界にとっては特別でなくともこの物語において主人公であることには変わりはない。世界は全てに対してやさしく無関心であると同時に観察結果は観察者に依存する。

であるからにしてこの映画を見る凡庸な私も何事かを為すことができるはずだ。

 

本を読む人のための書体入門

星海社新書、正木香子著

軽く読める。網羅的ではなく特定のフォントについてエッセイ的なもの。

ドラゴボ(この五感の悪い(良い)略称、好き)のあの書体は古印体って言うんだよ。

 

ゴランノスポン

町田康先生、好きです。愛してる。でも電車で読むのはやめよう。によによしちゃうからね。短編集ですが、あの饒舌体でぐいぐいと没入させられて、後のすっと引き離される感じのが多いです。表題作もそういったやつで。ゴランノスポンとはいうまでもなく「ゴランノスポンさーは」というやつで「充実」した番組本編間に生じる空隙を示している感じです。またこれを途中で切ることで面白い語感になること、スポンっとなにかが生じることなどを表現しているとか。いないとか。

生成不純文学

木下古栗著

この人は全然知らなかった。

これは短中編集。真面目な顔でふざけたことをするタイプ。はじめは(虹色ノートの前半くらいとか)このわざとらしい文体が鼻につく感ありだったが、他作品も読んでみるとだんだんなじんできたというか、必然性を感じられるようになってきた。特に表題作はおもしろかった。でもあまりに理性的過ぎるような嫌いもある。もっとぶち抜けたところがあれば町田康級になるのではなどと偉そうなことを言ってみる。

好き好き大好き超愛してる

嬉し恥し、初舞城王太郎。お前は今を生きてる作家をもっと読め。タコ

評判はよく聞いてた。それで恋愛小説とかラノベとかを脱構築するみたいなやつだと思ってた。正直ハードルを上げすぎた。最後の柿緒のとこでベタに小説=愛=祈りについて語っていることについてはとっても共感できるー。私共感できるー。

のだけれども、浅みの極みみたいなことは認識できるが、これを一段と消化し昇華して欲しかったような。形式と内容の一致ってやつが僕は大好きなんだけど、内容もしくはやりたいことにもっと上手く形を与えられたのではと思ってしまった。あたいがちゃんと読めてないだけ?Amazon的に言えば☆3.5って感じ。もっとメタカして。メタカ、メタカ。メカタ。

Moodymanでおやすみなさい。


Moodymann - Don't You Want My Love