『パターソン』感想

予定は夜に飲み会だけ。かなり早めに家を出て、街を徘徊し映画など見て待ち合わせ場所に向かうときの優越感。無職の特権です。アーハー

そんなわけでジム・ジャームッシュの新作見てきました。そういえばパリステキサス好きだったなーと思って今ジャームッシュのフィルモグラフィ見てたら、そこに名前がなくてあれっとなってそれヴィム・ヴェンダースやんと気づいた男の感想です。

良かったです。とてもおもしろかった。なんとなく良さげな雰囲気を醸しているだけでは決してなく、ミニマルながら構造化が明確で作家の意志を強く感じた。

日常生活の差異と反復が描かれる。そこに生まれる予兆、笑いと仄かな不穏さ。

差異と反復は日常生活であり、映画であり、音楽・詩の基本構造である。

ライムとは、詩とは何か。

ラウラが双子の夢の話をして、それから度々双子が登場する。双子はそれ自体ライムだ。似ているけど少し違う。ライムが存在すると世界は構造化される。規範を定立することで、反復や逸脱が認識可能になり意味が生じる。ライムは予兆の実現であり、予兆はグルーブを生む。よって予兆は必ずしも実現しなくとも効果を生じる。

詩とは世界を解釈する方法であり、把握する方法、生活の方法であり、習慣である。習慣を崩した時、何かが壊れ、そして再生される。詩とはリテラルに人生、世界そのものである。

バスに乗ってくる各日二人組がのってくる。それぞれがボクサーとかあの女やれるとかアナキストの話をしている。バストアップで映していくんだけどそれぞれ足元だけも移すんだよね。そこがリズム感があって好き。

パターソンという名

アダム・ドライバー演じる主人公の名はパターソン。町の名前と同じである。このことは劇中に明示的に触れられる。パターソンはいくらかのコメディアンや音楽家を輩出しているが、平凡で穏やかな町、なかなか新しいバスが買えない町。カルロ・ウィリアム・カルロスではなく、ウィリアム・カルロ・ウィリアムズの同タイトルの詩集がこれも劇中で示されるように源泉となっている。

パターソンという男が主人公であり、それはこの町の擬人化である。

ラウラの異邦人性

ラウラ役のゴルシフテ・ファラハ二さん、やばいです。まじやばい。美人すぎる。

主人公と二人で映画を見に行って、カレドニアだったか忘れてしまったがともかく、異国の美人役の人に似ているねという話が出るのだが、これが象徴的に示すようにラウラはこの映画において浮いた存在である。なんていうかまじやばいのです。

彼女の持つ性質は過剰さがある。あまりに美人だし、やたら塗り塗りしてるし、カントリー歌手目指すとかいうし。まあなんだ臆せず語彙を貧困化させれば、まじやばいのだ。まずこの世界観でYouTubeという単語を聞くとは思わないですよ。あ、YouTubeとかあったのみたいな(別にばかにしてるわけじゃない)。

とにかく彼女は異邦人、エイリアンなのである。(エイリアンコヴェナントとどっち見るか迷った。)DIY精神はとっても素敵なんだけど、少し行き過ぎでちょっとスイーツ(カップケーキ)系なんですよね。底知れなさ、穏やかな中の不穏さがあり、音楽も効果的だ。

あんだけ美人ならもう何でもいいんだけど、よくパターソンと結婚したなという感じは少しある。恐らく芸術を愛する人だろうし、彼の詩作=世界との対峙方法を愛したのだとは思うけど。パターソン側も良く受け入れたなみたいな。まああんだけ美人ならいいか(反復)。

フラクタル

部分と部分の呼応もあれば、部分と全体の呼応もある。シネクドキといってもいいかもしれない。インターナルライムの話や永瀬正敏のとことか。ああいったやつって多分自分が映画作るんだったら絶対入れたくなる要素だけど、下手するとめちゃくちゃ臭くなりかねない。その点これは引用として導入していたりしてうまく消臭されている。

一事が万事、万事塞翁が馬ってやつだね。昔隣の野球部の顧問がこれ盛んにいってて当時はうっとおしく感じてたな(どうでもいい話)

世界を分節せよ

無職を続けてると次第に曜日感覚が薄れてくる。今日と明日の境がなくなってくる。とか言うと少しかっこよさげだが、全然かっこよくない。私とあなたという彼我の弁別に始まり、その類推適用によって世界を切り分け、把握する。二項対立はその害悪を強調され勝ちだけど、忘れていけないのはやはりまず二項対立がないと世界はのっぺらぼうで人間には把握できないということ。二項対立があり、それを多様化させるために二軸目、三軸目…を導入したり、可変的にしたり、脱構築させたりする。

人間の生活は日々の習慣があり、それ自体は詰まらないものかもしれない。しかし微視的に見れば、そこには多様性があるはず。当初の予定とは違うが、犬に引っ張られてそちらへ向かう。晩の歩みとは逆方向に朝は行く。パターソンのあの僅かな笑みをもって周囲を覗けば、世界は輝いているはずである。

環境世界を構築し、更新し続けることが人間の生活をより良くする。

世界が立ち上がる瞬間

世界の分節する方法は人それぞれであり、かつそれは時間を要するものである。

このことをパターソンは美しく表現している。主人公が詩を紡ぎ始めるとき、ことばは戸惑いとともに発せられる。メソッドマンはコインランドリーをスタジオとしてラップを繰り返し、行きつ戻りつしながら組み上げる。ラウラの弾き語りも入れてもいいかもしれない。

そして何よりあの白紙のノート!ああ映画って素晴らしいですね。

アーハー

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画像Urinario Clandestino: Love Poemより