イェスパー・ユール『ハーフリアル』を読む(Chap.6)

Chapter6 結び

この章は短く、まとめです。

ビデオゲームには、たしかに中核的な要素がある、つまり、ほとんどのビデオゲームは挑戦課題と虚構世界を持つという点で共通している。しかし、そこから外れる革新的なゲームもある。そうしたゲームは、いままではつまらないとかどうでもいいとか思われていた要素に新たな面白みをもたらすことがしばしばある。さらに、革新的なゲームは、それ自体がゲームとはなにかについての議論になっていることもある、歴史的な観点からみれば、『The Sims』は19世紀後半に出てきた写実主義文学のあり方にかなり似ている。大雑把に言えば、この時代に小説は英雄や劇的な出来事ではなく日常的な生活を描き始めるようになった。芸術形式は、少なくとも部分的には、その重点が変わることで発展していく。たとえば、小説では、日常生活の細部を描くことに面白さが見いだされた。絵画では、必ずしも何らかの主題を描く必要がなくなった。音楽では、メロディと同じくらいリズムも重要なものになった。ビデオゲームもまたこれと同じ仕方で発展していくだろう。p.242 

 これの直前にビデオゲームをイーノのポップスへの言及と重ねて書いている部分もある。その他にビデオゲームの起源としてアーケードゲーム創発型)とADVゲーム(進行型)という二系統があり、アーケードゲームがセッションの継続性を獲得していく歴史と捉える視点についてなど

◆感想

ルールとフィクションの相互作用ということを軸にゲームについて語った本でした。

ゲームを記述的に語ることはある程度できたとしても規範的に語るのはやはり限度がある。なぜか面白いゲームもあればなぜかつまらないゲームがある。たとえばぼくはBejeweled 3をサルのようにやっていた時期があった。面白いのかといわれると正直よくわからないのだが、ハイスコアへの執着と何より音が気持ちよくて止まらなくなってしまう。あるいはFootballManagerとかドンスタなども別の仕方で中毒状態にさせられた。(Civはガチでやばいと思ったので未だに触ったことがない。)

そしてこれらが同様のルールを持っていたとしても同じだけハマれたかといえばそれは違うだろう。やはりフィクションそのほかの付帯状況によって没入度は変わる。

没入ということではやはり今後はVRのことを避けては通れない。VRを装着しているときはもはや外部の現実が触覚以外はない状態であるわけだからこの場合は一層ルールとフィクションの一致が求められるということなのだろうか。まあVRやったことないからわからないけど。

この本はわりとみんなが知ってたorうっすら感じてたことをまとめたという感じでめちゃくちゃ熱いとか舌鋒鋭いということはないが、ビデオゲーム全般の存在論的資料は少ないなかで貴重な橋頭堡となるのではないでしょうか。おすすめです。

 

Half-Real: Video Games between Real Rules and Fictional Worlds

イントロダクションはここで読めますよ。

ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム

ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム