童貞。をプロデュース?

バズいものに絡んでいくコーナーその2

童貞。をプロデュースの10周年上映に伴う舞台挨拶で起きた事柄について

この作品は知っているけど見たことがないが、松江監督の作品は山田孝之シリーズを含め数作みており比較的好感をもっていた人間が匿名性がそれなりに高いこのブログに以下を記載します。

まずこれ。


『童貞。をプロデュース』松江哲明監督フェラチオ強要事件

これを見る限り加賀さんに理があるように感じた。松江監督はここではしゃぶらないし観客の前では何も語らないという態度で有効な反駁はなかった。

 そして何よりおれはこれを楽しんだ。

さらに

eachs.hatenablog.com

もちろん加賀さんの主張の正当性はこれだけではわからず、判断保留にするのが適切には思える。

そしてご本人加賀賢三さんの当時のブログ

土下座100時間:世界で一番やさしいゲロ - livedoor Blog(ブログ)

があります。どうやら加賀さんの意見には真実味があるように感じる

 

taiyaki.hatenadiary.com

そしてこちらも。

共演者の梅ちゃんのツイートを紹介しています。

そのほか著名人では吉田豪能町みね子の反応がありました。

過去の情状資料として

井口昇の「きっと男子ばっかり観るだろうから敢えて言うけど女の子集まれ!」:【改訂版】直井君、松江君はまだまだだったよ!

そいでぼくは何がいいたいのだ?

まずは言うまでもないがカメラの暴力性。

同時録音が可能になり、ドキュメンタリーには二つの道があった。ありのままを撮るというころを(ロマン主義的に)追い求めるダイレクトシネマ。カメラは透明にはなれないという現実派のシネマベリテ。

自分は後者の態度の方が基本的に好きだが、別にロマンチックにありのままを求めるのもあくまで地上でイデアを求めるという絶望的な求道精神と認識した上であれば別に非難されるようなものではない(今日日無邪気にカメラが透明になれると思っている人間はいないと信じたいものだが)。カテゴリー=認識のフレームワーク外しもしくはずらし(ナウでヤングな言葉でいえば脱臼?)をしてくるフェイクドキュメンタリーは言ってみれば露悪的なシネマヴェリテでしょうか。ちなみにあたいは露悪的なの好きヨ

そして二つ目に面白さ問題。

上記の動画でも加賀氏が何度も言ってました。貴様は面白ければ何でも良いのかと。仮に(恐らくは同意はしないが)そうであるのならば、お前自身をもその土俵に乗せろということ。監督の過去のことばとして引用されていたブーメランじゃないと面白くないということ。映画なら意味が反転する瞬間はとても面白い。例えば最近の映画でいえばお嬢さんのあの例のタマタマのもつ意味が反転する瞬間とか。あれは感動的でさえあった。

突きつけた刃が翻ってこちらへ向かってくるときの緊張感。癖になっちゃうわビクンビクン

フェイクドキュメンタリー/モキュメンタリ―は劇映画とドキュメンタリーがある一つのスペクトラム上に位置していることを作品で示す。こんなげーむにまじになっちゃってどうするの?こんな映画を楽しんでいるカウチポテトなお前は何様なの?地続きなのは作者と被写体だけではない。地面は視聴者までつながっている。

それでは松江監督はあの場でしゃぶった方が良かったのか。

舞台上でジュッポ、ジュッポ、グッポ、グッポする。そうすればその胆力は恐らく賞賛されただろうが、過去の責任を認めたことになる。道義的責任はこれで清算できるも刑事/民事上の責任を負う可能性があるかも。

しかし実際はしゃぶらなかったわけでそれでは今後はどうすべきか。

おれはやはりアンサームービーを作ることしか思いつかない。

加賀さんも映画を作る。そしてバトる。(しかしこれは加賀さん的にはあまり納得しないだろうな)

 

上映会は中止され

『童貞。をプロデュース』の上映に関して

松江監督はtwitterでは中止にのみ触れ、フェラチオ事件については直接触れていない。

 https://twitter.com/tiptop_matsue/status/901376349318684672

 

というわけで恐らくブックではなさそう。

 

しかしこうして自分の書いたものを見るとだせー第三者の糞間抜けなブログだな。(そしてこの最後の一文がもっともだせー)おしまい