『インランド・エンパイア』感想

リンチ監督はメジャーどこを少し見たことある程度の男の感想。

ネトフリでうさちゃんが眼についてみようと思ってたやつ連休で体力があるタイミングで、180分あるのでね。

やはりなかなかややこしい話ではあるが、好きなやつだった。

映画を作る映画、映画の映画。常に不気味さ、居心地の悪さを感じさせる。

私がどこにいるかわからないというセリフが何度か出てくるが、視聴者も自分が現在度のレイヤーの映像を見せられているのかを気にしている必要がある。現実?(映画内映画、日常)のレイヤー、ポーランドのレイヤー、泣く女のレイヤー。

そしてレイヤー間の接続。最後のシーンとか。それではもっとも外側のレイヤーとは?

例のごとく、現実界象徴界想像界などに紐づけて語ることはできそうだが、しっかりやるにはあと三回くらい見ないといかん気がするので今回は遠慮しておく。

台詞(昨日と明日の区別がつかない、47、冒頭のおばさんの扉から世界を覗いてしまう話)、小道具(ドライバー、腹部流血、壁にかかれたあの文字列と下に向かっていく矢印)などなど他にもたくさんあるが、一つのイメージが何度も出てくるのでこの辺を手掛かりにオタク的談義は無限にできる感じ。

リンチ版8½ EPIC!‼‼

『ドゥザライトシング』感想

スパイクリー監督脚本主演、2pacの流れというほどでもないが流れで。

街あるいは通りが主役の映画。黒人メインの界隈に各種人種がいる。そんな中スパイクリーのムーキーはイタリア系の一家のピザ屋で配達の仕事をしている。各人たちは同胞意識とその裏返しとしてうっすらとした差別意識はあるが、大きく問題化せずわだかまりは多少あるも調和は取れている。

ところがある事件をきっかけに部分的に崩壊する。この件は序盤の消火栓での水遊びシーンが伏線あるいは弱めの連想イメージ、予兆として効いている。街自体が醸成する潜在的意識とかいうと何を言ってるだこのスダコと言われそうだが、そんなものを感じさせる。こういったところがカラフルだけど少し不気味な感じをこの映画がもっているところかもしれない。どもりのスマイリーやラジオラヒーム(ファイトザパワー絶対流すマン)、メイヤーなんかはやや非人格的な土地の精霊ぽい描かれ方がされている。溺れるナイフもだけどこういう土着性というか土地の呪いみたいなことを描く映画個人的には好き。

この映画に出てくる人々は人種内ではまあ結構仲よさそうな感もあるが、作品の構造上そうならざるを得ないだけかもしれないものの割と通り一遍な会話しかしていない。ムーキーにしても本当に分かり合える仲間はいないのかもしれない。

そして小暴動があった翌日も相変わらず暑い日が続くのである。

 


Public Enemy - Fight The Power

最終的にはdo the right thing ということばもfight the power もやや皮肉に響く

『オールアイズオンミー』感想

仕事帰りブシヤでやっと見てきました。ALL EYEZ ON ME

2pacめっちゃにとる!

しかしどうなんでしょう。なかなか平板な映画でした。

前半はインザジェイルでインタビュー受けて回想していくというながれが続くのですが、現在時(インタビューシーン)がかなり細かく挿入されてくる。なかなかフローが悪いです。抑圧→解放ということなのかもだが、正直ちょっとかったるかった。まあその後は少し加速する感じもあるが、ほんとに若干という感じ。

そもそも2pacを2時間というのは大変な仕事だろうが、やはりポイントを絞らないと散漫になっちゃう。

と文句ばかりだがにわか的にはそもそもニューヨーク→ボルチモア→カリフォルニアと引越してきたんだ、ナチュラルボーンウエッサイじゃないんだーとか演劇の勉強とかちゃんとしてたんだーとか

映画を見る限りではなかなかロマンチストで時折それがビギーさんに関するところとかでパラノイアックにふれることもあるみたいな感じかな。

勉強になりましたという感じだが、それならWikiTupac Shakur - Wikipedia

見ればいいんじゃということではある。映画としてはストレイトアウタコンプトンの方がかなり面白い。とりあえずジュースを見よう。


2 Pac - Dear Mama

結構ママンが映画にはでてきます。

『溺れるナイフ』感想

昨日は小松菜成分が物足りなかったので引き続き。

素晴らしすぎひん?!これ

レェエベルが違うよ。

 

海!山!とかいってぬかるみ!うんこ!うんこ!とぶち込めるとこ。

これがこの映画の素晴らしさ。小松菜とダース―さんの神々しさを存分に描きながらも彼らがそうであったように幻想の破れも捉える。超越的なところのみだけでなく、等身大の姿も収めている。やがて失われる少年少女の美しさを描いている。これだけでもう何を文句を言えようか。わたしぁ言えやしないね。まる子こころの俳句。

そしてまゆげ大友が泣けるよな。何かあいつ絶対噛むし。映画はいつでも見に行けねえんだよ。はあつらい。

おれが菅田将暉であってもよかったわけでしょ。だって名前も漢字四文字だし。髪もストレートだし。あとほらなんだ。おれもバイクの免許あるし。はあーつれーわなんでおれ菅田将暉じゃねえんだよまじで。神さんおねがい。でも菅田将暉であってもつれえんだよな。まったく。小松菜になりたい。

はあちょっとは落ち着いたかな。

でもまじで泣けてさあ。美だよね美。何でこんなに美しい生物が生まれて、そして死んでしまうんだ。切ない。そしてうれしい。生まれてきてくれてありがとう。

落ち着かない全然。じゃああえてここで気になったところ。

・ボートのシーンの台詞

ここはアフレコだったのだろうと思うが、明らかに不自然だったよね。後の回想シーンのために敢えてということなのかもしれないが。あのシーンだけ見ると特に小松菜ちゃんは全然リップシンクしてなくてなんかこう浮いてた。でもあの肩と腕ブンブンするあの動きめっちゃ好き。結局小松菜ですべてが好意的になっているのかもしれない。

ここまでの感じだとなんやただ小松菜かわいいだけの映画だろとお思いになるやもしれぬが、まったくそうではない。

たしかに小松菜と菅田でなければ成立しえない話ではある。おれが菅田の役だったら間違いなく打首獄門同好会だよ。

この話は外来の神が土着の神に会う話なんだよ。神々は一度その無謬性を損なわされ、失墜するが、もがき苦しみながらその外傷を克服する。そして外来神は一段と成長し帰途に就く。

しかしながら彼女たちが決定的に人間なのは時間に縛られていることであって、それ故走らざるをえない。そうだろう。走るしかないだろう。走れ! 

あとは正直音楽の使い方はなんですかね。そんなにしっくりはこなかった。水星は嫌いなわけはないのだけれど。今日はこのくらいにしたいとるわ。このディストラクションベイビーズコンビには今後も期待。やぎらくんもね!


tofubeats - 水星 @ りんご音楽祭2013


吉幾三 俺ら東京さ行ぐだ (1985年1月)

 

『渇き。』感想

わたくし小松菜奈が見たくてですねヘヘヘヘヘ

映ってる時間は役所広司の方が断トツ多いですね。主役かー役所が主役か―

仕事でくさくさしててね。こっちは小松菜をみたいんだよ。このくそがーぶっ〇してやるー

まあそういう映画ですね。やたら役所さんが罵り、妻夫木君がにやにやぺろぺろしてる。そして小松菜がかわいい。殺されたい。

これは高度なギャグなのか

こないだの柄本氏ではないが、これはおれを試しているのか。

役所、妻夫木両氏の存在がギャグにしか見えぬ。特にブッキーさんかなあ。何だろうあのキャラ。なんか元ネタ有?原作通りなの?さらに二人がそろい踏みするとちょっとこれはなかなかどうしてつらいよね。

後音楽。いやわかるけどいやわかんねえよ。アバンタイトルのあれとかさ。

オダジョーさんもなんかおかしいよね。もちろん演出のせいが9.5割だと思います。

壮大な前振りだったのだ

ブッキーがポーンと垂直にすっ飛ぶ。

変わった。

感動したのはうしなった―ゆめだけど―と聖子ちゃんが流れるシーン。

これまでのあのアメリカ―ンな音楽使いはフェイク、囮、前振りだったのだ。

(劇中で実際に流れている音楽のことって何て言うんだっけ。劇中歌じゃなくてなんだっけ)

おれはこの監督が嫌いなんだよ。告白とかはみんな嫌いというからあまのじゃおじさんとしてはあの軽さがいいんだよ、わざとなんだよ、ポスモだよ。などと逆張りしていたが、今回でわかった。あの軽さはわかってやってるよ。明らかに。あの過剰さも。

この作品はでその試みは成功してないかもしれないが、彼はイデオロギーイデオロギーとして受容できる勝ち組人間である。きわめて利巧である。そしておれは嫌いだ。

フェイク、セルアウトやろう、リアルではない。そう罵られるのだろうが、そんなことは彼には問題ではないだろう。これが資本主義だよ。ワトソン君。

次はもっと小松菜ちゃんが出るやつ見よう。小松菜が見れるだけでもう私はいいよ。

でもやっぱり前振り長すぎです。中島先生。


松田聖子 SWEET MEMORIES (1984)

『愛の渦』感想

昨日に引き続き三浦大輔監督シリーズ。

なんかエロい感じ?のやつとは知っててみた。

全然エロくなかった。かなり明確に起承転結と展開される作品

冴えない男(といっても池松壮亮ではあるのだが)、根暗そうな女(同じく門脇麦だが)乱交ぱーりーに参加して…という話。

セックスの軽みと重み

ぱーりーが始まって一回戦目くらいまではあるあるネタというかああこの感じあるわあっていうので笑える流れ、乱交に限らず見知らぬ人同士が閉鎖空間にいる際の気まずさやそれを徐々に打ち破ったり、破らなかったりする様。

ことが始まっても声がでけえなとかあるもののエロさを感じることはなく、セックス及びその前工程の醸し出す滑稽さが強調されている。セックスって交尾って冷静に動きを見ると滑稽ですよね。なにそんなにかくかくしてるのみたいな。

というわけであるのだが、池松・門脇は何やらこの場に不適切にもセックスの重みを感じてしまっているのである。それは恋なのか思い過ごしなのか。

高度なギャグ

と三回目で新井浩文と池松氏でひと悶着があり、その後柄本Jr.と恰幅の良い彼女が参戦してくる。奇しくもこのカップルと池松・門脇の疑似カップルがスワップすることになる。

基本的にこの”転”部もやはりユーモアがベースにあるのだが、セックスの生々しさが顔をだす。柄本のペッティングは今までになく詳しく表され、ぺちゃぺちゃしてる。キスもここらで初めて映される。

これは恋だね。高度なギャグだね。

今まではセックスに幻想を見ないという幻想をもつ人々という感じだったのだが、ここではよりストレートにセックス(もしくは異性)に幻想を抱く柄本と池松が表現される。

ここには意味ありげなかっこいいこととかないから

それでなんやかんやあり(駒木根君の素晴らしい笑顔あり)、五時を迎え会は終わり。

スタッフの窪塚君が入ってきて参加者は現実に戻される。いやこれを私はこう言いたい。幻想を見ないという幻想から人々は目覚め、日常の幻想に戻る。

そして窪塚君のここには…という発言である。若干セリフ回しが違うかもしれないけど。これはとはいえ的にとることもできる。というかむしろそっちが本筋かも。後に窪塚にくるメールとかみるにね。でもぼかぁあのメールは取って付けた感があっていらないんじゃね派だが。

幻想なきおっぱい

門脇さんのおっぱいは某池脇さんのように特に残念ということもなく、かといってめっちゃいいということでもなく、まあ言ってしまえば普通である(映し方次第かもだけど)。そしてラスト付近のあの池松呼びだしシーン。いやあれは流石に実際やられたら…電話で言え!

かように男は幻想を抱き、女は現実を見ている。あそこにいた僕は本当の僕だとおもいます。良かったですね。このくだりはちょっとぞっとしましたね。

 

よっほどじゃないと異性とは見づらいかもしれないがおすすめ。駒木根君の笑顔を見よう。エヴァかな8 1/2かなという拍手シーンもあり。

『何者』感想

朝井リョウ原作、三浦大輔監督

桐島の人とボーイズオンザランの人だー。たのしそーワキワキ

結構評判いいのは知ってましたが、今更ネトフリで。雪の日に。雪雪

新卒で自宅警備員に就職した私には縁遠い話ではありますが、若干の香は嗅いではいたので多少なりわかる。が、いずれにせよ奴らはリア充だぜ。リア充の苦悩なのであってむしろあの苦渋を味わえるだけでむしろ自慢かという。

おれはいろんなことから逃げてきたよ。ゴミだよ。カスだよ。塵芥だよ。

就活というイデオロギーを括弧付きのものとして受け入れ、最大限の利益を引き出そうとする態度はおれみたいにいじけてそっぽ向いてしまうようなやつより数段上なのである。ジエック的にいえばイデオロギーをまともに受け取ってしまっているバカ。むしろこういうニヒリズム的態度の方が没入系なのである。まともに就活をしている人間たちのほうがメタ的視座に立てる高等な人種なのである。まあそれはともかく映画の話。

ギンジ≒桐島って感じだね。桐島ほど空虚な中心というわけではないが。

ヤーマダ氏出ているのは知らなかった。現実見えてる系先輩でしたね。

ツイッター裏垢のダンダンダンダンッダンのところはだんだんわらけてくる。

あれって※イメージ映像ですということではなく、彼が成長していろんな痛みを受容してああいう劇をつくりましたということになるのかと思ったがそうではないのか。

まあいずれにせよ主人公や周りの人々(ダース―ちゃんはナチュラルボーンリア充という感じで元から素直でかつ世渡り上手で特に変化なしだとは思うが)が成長して教養小説ならぬ教養映画といった佇まいなんですかね。桐島の方がエピックな感はありましたが、これも面白かった。というかあちきは少し泣けましたよ。このゴミカスな私だけどもがんばれよと思いましたよ。

映画そのものというかその題材を語りたくなる作品